横浜戸部の由緒ある神社、杉山神社の狛ネズミについて調べました

杉山神社へ行ってみよう

横浜駅から京浜急行の下り線普通電車に乗り、最初の停車駅である戸部駅を下車して改札を抜けると、すぐに国道1号線にぶつかります。

車道を右手に見ながら保土ヶ谷方向に進み、大きな交差点「西平沼交差点」を左折します。真正面には野毛山方面に延びる気が遠くなりそうな上り坂が見えますが、登り始める手前の「御所山交差点」を右折し、あとは住宅街の中の道をひたすら真っすぐ数分歩きます。

西区役所が近づいてくると、右手に小さな緑の木立と大きな白い鳥居と立派な社殿が見えてきます。

ここが、杉山神社です。

 

狛犬ならぬ、狛ネズミ。ネズミって?

さて、先ほど表示しました杉山神社の写真を見てみましょう。

神社の拝殿の手前には、どこの神社にもあるような「狛犬」が鎮座されていますが、この神社にはさらに手前に「狛ネズミ」が左右一対で鎮座されています(写真中の赤丸)。

この「狛ネズミ」は近づくとこんなお姿をしています。

この写真の「狛ネズミ」は向かって左側に鎮座されてるのですが、さらにその左に何やら説明が書いてある札が立ってました。

どうやらこの「狛ネズミ」には願掛けができるようで、男性用と女性用に分かれています。台座を回転させながら願掛けする仕組みですが、神道というよりチベット仏教を思い出してしまいますね。

ちなみに写真の「狛ネズミ」は左側に鎮座されているので、女性用ですね。

それよりも、この表示の一番下に書かれていることが驚きです。

「狛鼠は平成14年に…建てられました。」――すなわち、2002年に建てられたということですね。
「…御鎮座1350年を記念して…」――ん、1350年?

計算すると、2002-1350=652 !

西暦652年に御鎮座されたということになります。これは古いですね。驚きです。

そもそも、なぜこの杉山神社に「狛ネズミ」なのでしょうか。この神社の創建した年の古さも関係しているのでしょうか。

実は由緒ある神社でした

まずは杉山神社について関係記事などを調べてみましたところ、こんなことがわかりました。

  • 杉山神社は、西暦652年にこの武蔵の国一帯を開拓された杉山一族によって創建されたそうです。
  • 神社の祭神は「大己貴命(オオナムチノミコト)」です。出雲大社の祭神である、大国主命の分霊を祀られました。
  • 杉山神社は横浜市唯一の「式内社」だそうです。
  • 「式内社」とは、西暦927年に当時の朝廷がまとめた、「延喜式」という律令細則に記された神社のことを言い、日本中に無数にある神社の中でも格式の高い由緒ある神社であると位置づけられます。

ということで杉山神社は横浜市でも大変格式の高い神社になります。

しかし、「杉山神社」という名前の神社は武蔵の国だった地域にいくつもあり、これらはみんな「論社」と言われています。ちなみに“ここの”杉山神社も「論社」の一つで、他と区別するために「戸部杉山神社」とも呼ばれています。

だから、なぜ「狛ネズミ」なの?

なぜ「狛ネズミ」が鎮座されているのか、まだ疑問が解けていませんでした。これについては、先ほど紹介した立て札の上部にも「大国主命と鼠」という題で由来が書かれていました。

どうやら、ここ「戸部杉山神社」だけに関わる話ではなく、ご祭神大国主命(大己貴命)にまつわるお話のようです。

詳しく書かれている文書を探しましたところ、現存する日本最古の歴史書「古事記」に、大己貴命(オオナムチノミコト)とネズミとのかかわりに関する記述がありました。

ちなみに、大己貴命は大国主命の若年時の名前です。ブリでいうハマチのようなものですね。ちょっと罰当たりな比喩なのが恐縮ですが。

一般によく知られている出雲神話「因幡の白兎(ウサギ)」のお話は、大己貴命と呼ばれていたころのお話です。

現代語版に訳されたものを読み、要約してみますと、

  • 先述の「因幡の白兎」で伝えられた出来事の後で、大己貴命は多くの兄神「八十神(やそがみ)」から命を狙われるようになり、二度も殺されては蘇ることを繰り返していました。
  • そこで大己貴命は友の神と相談し、これ以上殺されないためにも素戔嗚尊(スサノオノミコト)のいる国に身を寄せることにしました。
  • 大己貴命はそこでなんと、事もあろうに素戔嗚尊の娘である須勢理毘売(スセリビメ)と互いに一目惚れしあい、結婚してしまいました。
  • 舅である素戔嗚尊は婿である大己貴命を試そうと、様々な試練を与えます。
  • その中の試練で、野原に射込んだ鏑矢を大己貴命に拾わせに行かせました。
  • 大己貴命が野原に入ると、何と素戔嗚尊は野原に火を放ち、大己貴命を火で囲んでしまいました。
  • 大己貴命は今度こそ絶体絶命の危機です。
  • そのとき、一匹のネズミが大己貴命の元に現れ、地面に穴を開ける呪文を教えました。
  • 大己貴命がその通りにすると、たちまち大きな穴が開き、そこに落ちてしまいました。
  • そのおかげで焼き殺されることなく、大己貴命は命拾いをしました。
  • さらにはそのネズミが、何と目的の鏑矢を口にくわえて持ってきてくれたのです。
  • 大己貴命はそのネズミのおかげで、素戔嗚尊の試練を一つクリアすることが出来ました。

舅が婿に仕掛ける試練はまだまだ続くのですが、このように大己貴命とネズミは切っても切れない関係にあると言われるようになりました。

おわりに

杉山神社、または戸部杉山神社は、調べてみるととても由緒ある神社であることがわかりました。

また、この神社にある「狛ネズミ」がこの土地に由縁があるというよりは、ご祭神である大己貴命と神話的な由縁があるということも分かりました。

神奈川県にはとても有名な神社も数多くあり、私も含めて正月の初詣はそちらに行きがちです。しかし、皆さんの身近にある神社にも、思いがけなく深い由緒のある神社やお寺があるかも知れません。

たまには近くの神社にも行ってみるのもいいですね。

出典:『現代語古事記』竹田恒泰著 2011年 学研

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この記事の著者

佐野 文彦

佐野 文彦

滋賀県で生まれ、学生時代を福井で過ごす。社会人になってからは、横浜を生活拠点としている。本業の傍ら、ジャズやゴスペル・ファンクなどでサックス演奏や、コーラスグループでの合唱活動も行っている。横浜が自分の歌や演奏で満ち溢れるといいなどと、大風呂敷な夢を持ち歩いている。彷徨うような街歩きが大好き。

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