横浜駅東口、とあるビルの前にある石のオブジェの正体を調査中…

横浜東口ウィスポートビルについて

横浜駅東口から、箱根駅伝のルートにもなっている国道1号線に沿って7分歩くと、右手に「横浜東口ウィスポートビル(旧日産横浜ビル)」が見えてきます。

 
このビルの玄関先の広場には大きな石のオブジェが5~6個、いかにも美術的な配置をもって転がっています。

大きな石はこれだけではなく、例えばウィスポートビルの看板のあるところにも

このように大きな石があります。

これらの石の特徴は、近くに寄ると

と、石の切り口に鉄筋が何本も通っていた跡があります。

石は他にも

このように、平たいなりに鉄筋の入っていたものもあり、

このように石の表面が波を打っていたり、

このように多くの石に鉄筋の跡が入っています。

これらの石は元はなんだったのだろうかと、ふと疑問が起きました。

この土地にあった建造物の遺構?

以前、姉妹紙「関内新聞」にてNHK横浜放送局裏にある「外人居留地の建造物遺構」を調査したことがありますが、これら大きな石も過去の建造物の遺構かと思いました。

しかしながら、ビルの現管理者様、元管理者(日産自動車)様に問い合わせても、明快な回答を得ることは出来ませんでした。

その一方で、「国土地理院の地図・空中写真閲覧のページ」にて、現横浜東口ウィスポートビルがある地点付近の、過去の航空写真を見つけることが出来ました。

国土地理院ウェブサイト空中写真CKT771-C5B-36を裏横新聞で加工して使用

画像左側の赤い丸の部分に現在のウィスポートビルはありますが、写真で見る限り町工場のようなものが存在するだけで、大きな石を遺構とするような建造物があったとは判断できません。

海側の貨物駅や造船所から運ばれたもの?

この写真に右側紫の四角形で囲んだ部分には、非常に大きな貨物列車用のターミナルがあったようです。機関車の転車台のようなものもあることがわかります。

この貨物ターミナルや、この写真の右外側に広がっていた大きな造船所は、1980年代に次々閉鎖し解体され、現在の「みなとみらい21地区」になりました。

もしかしたら、さきほどの大きな石たちは、これら解体されたときに生じた廃材を持ち込んだものでしょうか?

おわりに

今回、横浜東口ウィスポートビル玄関先にある大きな石たちの出所を探り当てることが出来ませんでした。

しかしながら、小紙としましては興味が尽きない話題ですので、引き続き調査を続けます。読者の皆様のなかで、横浜東口ウィスポートビルの玄関先にある大きな石の由縁についてご存知の方、情報お持ちの方がいらっしゃいましたら、コンタクトフォームから情報をご提供いただけると幸いです。

皆様の情報をお待ちいたしております。

この記事が気に入ったら
いいね!お願いします

裏横新聞の最新情報をお届けします

前の記事manrihashi_eye万里橋から見える踏切で、すぐ行き止まる道から始まる小さな物語

次の記事kamonyama_eyeあの井伊直弼とも縁あり!?裏横浜のお花見スポット「掃部山公園」

この記事の著者

佐野 文彦

佐野 文彦

滋賀県で生まれ、学生時代を福井で過ごす。社会人になってからは、横浜を生活拠点としている。本業の傍ら、ジャズやゴスペル・ファンクなどでサックス演奏や、コーラスグループでの合唱活動も行っている。横浜が自分の歌や演奏で満ち溢れるといいなどと、大風呂敷な夢を持ち歩いている。彷徨うような街歩きが大好き。

この著者の最新の記事

関連記事

ページ上部へ戻る